「将来使うかもしれない」を考えたときに自分に問いかけるべき違う質問

断捨離

断捨離をしている際に、「このアイテムを今捨てて、後で必要になったらどうしよう?」や「将来的にこのアイテムが役立つかもしれない」と思うことがありますね。
また、「私は要らないけど、他の誰かが欲しがるかも」という考えにもなりがちです。

こうした考え方が原因で、実際には必要ではないものを捨てずに取っておくことが多いです。

将来の必要性を心配して手放せない時は、物を捨てる際に自分にかける言葉を変えてみることをおすすめします。

「将来必要になったらどうしよう?」と思った時に代わりに使える新しい言葉を7つご紹介します。これらを試してみてはどうでしょうか。

言葉を変えることで、意識も変わります。
そうすることで、不用品を無駄に持ち続けずに済みます。

「いつか」って具体的にいつ?

「いつか」という曖昧な時点を明確にしましょう。

整理整頓を行う上で、「いつかは来ない」という言葉がしばしば使われます。
「いつか」とは、具体的な時期が定まっていない未来のことを指します。

「いつか必要になるかもしれない」と考えがちですが、それによって必要な決断を将来に先延ばしにしてしまうことがあります。

今日「捨てる」と決めることができれば、そのアイテムをずっと持ち続けることはなく、「いつか」という言葉に振り回されることなく、将来の決断から解放されます。

しかし、実際には「いつか」が訪れることはなく、そのアイテムが具体的な行動や目標に繋がることもありません。

そのため、具体的な予定が立たない「いつか」を理由にした保持は意味がありません。そうしたアイテムは早めに手放した方が賢明です。

最後に使用したのはいつでしょうか?

コンピュータのメモリがいっぱいになると、最も古くて使われていないデータから削除されることが推奨されます。
長い間触れられていないデータに再びアクセスするまでの時間も長くなるとされています。

これは私たちの日常生活の中で使う物にも同じことが言えます。

よく使う物は手元に置きますが、使わない物は存在すら忘れがちです。

たとえば、整理のために久しぶりに押し入れから箱を取り出し、中身を見た時、その物がとても重要に感じられることがあります。
しかし、長い間触れていないという事実を見過ごしてはいけません。

今、箱を出したのは、使用するためではなく、捨てるためです。

もしかしたら、去年や一昨年もその物に触れたのは整理するためだけではなかったでしょうか?

現在の自分にとって役立っていますか?

持っている物が現在のあなたの生活にプラスの影響を与えているかを考えてみてください。

ここで重要なのは「現在の生活」です。
過去に役立ったか、将来役立つ可能性があるかはこの際関係ありません。
大切なのは「今」です。

もし「今」が短すぎると感じるなら、今月や今年を基準に考えても良いでしょう。

確かに、役に立たないと思われる知識や物が人生を豊かにすることはあります。
それは新しい視点や体験を提供してくれるからです。

その意味で、不要な物も人生に何らかの価値をもたらすことがあります。

しかし、持っている不用品が最後にどのような価値ある機会を提供したかを思い出してみてください。
ただ箱の中に入れておくだけでは、その物を持っていないのと同じです。

「人生を豊かにするために持っている」と考えているなら、箱から取り出してしばらく使ってみるか、飾ってみてください。

そうすると、「やはり場所を取るだけで不要だ」と感じるかもしれません。

このアイテムがなくても問題ないのでは?

限られたスペースにも関わらず、頻繁には使わないアイテムを持ち続ける理由は、それに特別な価値を見出しているか、ただ単に好きだからかもしれません。

例えば、パスタメジャーは日常的にはほとんど使われませんが、パスタを計量する際には非常に便利です。
このアイテムは平たくて小さく、あまり場所を取らないため、「場所を取らないから置いておいてもいいか」と思ってしまうことがあります。

しかし、このような考えがキッチンツールにも当てはまり、引き出しの中がごちゃごちゃしてしまい、必要なアイテムを探し出すのが難しくなることもあります。
結果として、同じような新しいアイテムを再購入することになるかもしれません。

実際には、そのアイテムがなくても日常生活に大きな支障はありません。
パスタを多少多めに茹でてしまったとしても、余ったものを翌日のサラダに活用するなどすれば問題ありません。

捨てた後に何が起こるでしょう?

アイテムを捨てた後に「必要になったらどうしよう」と心配して手放せない方へ。
アイテムを手放した後に起こりうることは全て悪いことばかりではありません。

スペースが確保されることで、物の管理が不要になり、生活がすっきりして気分も軽くなります。
実際、「必要になって困る」という状況はそれほど頻繁には起こりません。

私自身、物を捨てた後に困った経験はほとんどありません。
一度だけ、娘の鼻の毛穴パックの外箱を誤って捨てたことがありましたが、それ以外では特に問題はありませんでした。

通常、捨てることを決めた物は、本当に不要なものです。
必要のないものを捨てるというシンプルな行動を複雑に考える必要はありません。

この場所が最善の選択でしょうか?

家の中で無視され、埃をかぶっているアイテムがありますが、本当にずっと同じ場所にある必要があるのでしょうか?

そのアイテムを家の外で利用する方法は存在しないのでしょうか?

例えば、それを必要としている誰かに譲る、寄付する、オンラインで販売するなどの選択肢が考えられます。
それにもかかわらず、なぜ長く持ち続ける必要があるのでしょう?

そのアイテムを現在の場所から移動させることで、あなた自身、そのアイテム、そしてそれを新たに受け取る人にとっても良い影響があるかもしれません。

一度購入したからといって、永遠に保持する必要はありませんが、手放すことを躊躇する理由は何でしょうか?

家の中では単なる「ガラクタ」かもしれませんが、外に出すことで「役立つアイテム」に変わる可能性があります。

ほとんど使われていないアイテムを手放すことに躊躇するかもしれませんが、一度支払ったお金は戻ってきません。

高価だったからといって保持し続けることが正しいでしょうか?沈没コストは回収できません。

既に支払ったお金に固執して、まだ使えるものを手元に置くことが、本当にあなたの望むことでしょうか?

これは私の人生にとって本当に重要なのでしょうか?

スペースが限られているとき、それほど重要ではないものは持たない方が良いと思います。

人生で真に価値のあるものを考えたとき、物理的なアイテムはリストの下の方に位置することが多いです。

重要なのは健康、人間関係(家族や友人)、仕事、夢、目標、信念、自己成長、自己実現、楽しむ趣味、幸福感、生存に必要な基本要素(空気や水)など非物質的なものです。

これらは購入できるものではなく、どうやって手に入れるかも一朝一夕には分かりませんし、持っているかどうかも判然としないことが多いです。

忙しい日々の中で、何が本当に大切か見失うことがあります。

手軽に手に入る物を集めて、価値あるものを得た気になるのは、ただの置き換え行動です。

物は生活を営む上で必要ですが、幸せを感じるためには過剰な量は不要です。
逆に、多すぎると本当に必要なものを見落としてしまうことになります。

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